Paeonia Garden

牡丹の英匂ひ満ち 大巾利巾の獅子頭 打てや囃せや 牡丹芳

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

足利へ

足利に着きまして、お蕎麦で少し遅めの昼食を取ったあと、
(こちらのお店は少し前にCXの「おじゃマップ」が撮影に来たとか<笑)

お店から参道を歩いて、目の前に広がるのは唐破風を戴く太鼓橋を山門入り口に
配し、周囲に濠をめぐらせた旧足利家邸宅。『鑁阿(ばんな)寺』。
正式には「金剛山仁王院 法華坊 鑁阿寺」。真言宗のお寺です。

足利家の二代目義兼が自邸を寺として健久7年(1196年)建立しました。
(伽藍を整備発展させたのは息子の義氏とされています)
真言宗ではありますが、鎌倉仏教の影響か大御堂(本堂)の建物は禅宗風味。
大きな兵火に遇うことがなかったためか、大御堂と鐘楼は幾度かの修理の手は
入るものの創建当時の姿を残しており、明治に入ってから国宝指定。
後に法改正により国重文となりましたが、今年から国宝指定復帰の運びとか。

一同、大御堂内に入れて頂き、御本尊の前で御住持によるお寺の解説・説明
など伺いました。
正面に御本尊大日如来。右手に脇本尊の薬師如来と護摩壇。
左手に聖観音像、聖天像、お大師、鑁阿上人(義兼公)など各尊像が配され
ており、また寺内には古筆の文書が多数残されているということで、今後の
中世史研究の展開も待たれます。

その後、古風な鍵を手にした御住持に連れられまして経堂へ。
経堂は方形二層。応永14年(1407年)、当時関東管領であった足利満兼の寄進
によります。
内部の八角輪蔵には黄檗一切経二千余巻が収納され、またこの堂の本尊である
釈迦如来の修復の折に胎内からも経本が出てきたとか。
輪蔵周囲の壁には将軍15代の坐像がそれぞれ置かれており、頭上には額絵馬なども。
「張良」の後場にあたる絵もありましたね。
ここで張良に会うとは思わなかったので意表をつかれた(笑)

ちなみに寺名の「鑁阿」は義兼公の法名をそのまま取ったものですが、
そもそもの意味は大日如来の種子(真言)を金剛界では「ばん」と言い、胎蔵界
では「あ」と言い、それを繋げて法名に。
御住持の話では、明治政府は南朝を正統としていたため足利氏の氏寺だったこの
お寺は色々と難癖をつけられて迷惑したそうな…

| 美術・博物館・名所旧跡 | 22:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://spurlets.blog47.fc2.com/tb.php/2820-6adcddba

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。